10月中旬を過ぎて、長野の朝晩は冷え込む日が多くなっています。
森の木々も、少しずつ緑から赤や黄色に変化していて、秋の気配を感じさせてくれています。
寒暖差が大きく、昼は半そで、夜は厚着をして、寝具は毛布も必要になっています。
もうこたつも出しました^^
先日は地元の農家さんとのご縁で、稲刈りやハザ掛けを経験させてもらいました。
美しい景色の中で、楽しみながら作業をさせてもらいました。


今回のブログのテーマ
「愛」と「愛情」。
似ているようで、僕の中では少し違います。
愛情という言葉には、「情け」の意味合いもあると思っています。
愛情は「助けたい気持ち」、愛は「対等に尊重すること」。僕の中ではそんな違いがあります。
心配だから何かしてあげたい。
かわいそうだから助けてあげたい。
苦しんでいる人を、何とかしてあげたい。
そう思うのは自然なことです。
ただ、人によっては、助けたい気持ちが強いあまり、「助けてあげられる人」を自分から探しているように見えることがあります。
かわいそうな人、困っている人を見つけると、放っておけなくなる。
それは優しさでもあるけれど、「助ける自分」でいたいという気持ちが隠れていることもあるように思います。
そして、そこには助ける側と助けられる側という、上下の関係や依存関係が生まれることがあります。
相手のためと思いながら、いつの間にか自分の考えを押しつけてしまうこともあります。
病気の方をサポートするときも同じです。
少しでも元気になってほしい。
苦しみから解放されてほしい。
そう思うから、あれこれ手や口を出したくなる。
でも、何でもしてあげることが、本当にその人のためになるのだろうか?
自分が先に経験したことなら、失敗しないように先回りして助けることも、アドバイスをすることもできます。
けれど、失敗することも、ときには痛い思いをすることも、その人にとって必要な経験だったりします。(もちろん、命や生活に関わるような場面は別です。)
失敗を経験するからこそ、自分で考えるようになる。
その中で、いろんな感情を味わう。
そして、自分の選択に責任を持つことを学ぶ。
こたえを教えてもらうだけでは、気づけないことがあります。
だから、何でも先回りするのではなく、ときには見守ることも必要です。
でも、求められたときには、寄り添うことも必要だと思います。
僕が大切にしたいのは、相手が持っている力を信じること。
人には、その人が本来持っている治る力があるし、困難な状況から立ち上がる力もあります。
ただ、一人ですべてを乗り越えられるわけではないから、支えが必要なときもあります。
そういうときには手を差し伸べます。
そして、厳しいことを伝えることもあります。
たとえば、本人が目を背けていることを、あえて言葉にして伝えるようなときです。
それでも、相手の人生を自分が何とかしようとは思わないし、できるとも思っていません。
その人自身が気づいて、自分の力で立ち上がれると信じています。
では、愛とは何だろう。
僕は、相手を自分と対等な存在として尊重することだと思っています。
自分も相手も、一人の人間。
どちらが上でも下でもない。
相手には相手の人生があって、自分には自分の人生がある。
相手を思いどおりにしようとせず、その人が経験することも含めて、その人の人生を尊重する。
それが、僕の考える愛に近いのかもしれません。
ただ、僕自身もいつもできているわけではありません。
心配もするし、何かしてあげたくなります。
だから、自分の気持ちも見るようにしています。
相手のためと思っていることが、本当に相手のためなのか。
それとも、自分が安心したいだけなのか。
「助ける自分」でいたいだけなのか。
自分の欲求を満たしたいだけなのか。
そう問いかけてみるのです。
何でもしてあげることだけが愛ではないと思っています。
相手の治る力、立ち上がる力を信じて、必要なときには支え、必要なときには見守る。
そういう関わり方を大切にしていきたいと思っています。
いつもありがとうございます(^^)

