ジョギングと瞑想 つづき
こんばんは。
今日の沖縄もよく晴れていましたが
夕方はスコールでした。
前回に引き続き
「ジョギング瞑想」のことです。
僕の場合
瞑想での意識の向け方については
知識として得る前に
病気の中にいるときに
身体の感覚に
意識を向けざるを得ない状況になったので
今でも自分の身体の状態に
意識を向けやすくなっているような気がします。
「適度」な運動が健康に良い
とされていることの理由に
血流が良くなるとか
代謝がよくなるという事などがありますが
それに加えて
身体の感覚に意識を向けることができる
ということがとても大きいのではないかと
思っています。
身体の感覚に意識を向けられる程度の
「適度」というのもポイントだと思います。
「過度」になると身体に意識を向けるどころか
「身体を無視する」ことになり故障につながります。
6月上旬のある時
15分ほどしか
走っていないにも関わらず
「フッ」
と呼吸も身体も楽になり
すべてが軽いというか
一体化したというか
安心というかなんというか
うまく言えないのですが
「大丈夫だ」というような感覚になりました。
走り始めたばかりで
「走っても身体は大丈夫かな?」
ということを確認するため
音楽も聴かずに
身体に
呼吸に
肺に
心臓に
右足に
左足に
一歩一歩に
意識を向けて走っている時でした。
基本的にフラットに整備された
安全な陸上競技場内を走っているので
車や道の状態も気にすることなく
身体に意識を向け、集中しやすかった
ということもあったのかもしれません。
病気をする前の健康なときでさえ
ジョギングをすると
右足の膝が痛くなったりしていたのですが
今は身体のどこにも
痛みがまったくないのも不思議です。
(念のため、今回は最初から右足だけサポーターを付けて走っています。)
病気になって
右足腓骨に腫瘍ができて
病的骨折をして
歩けなくなって
筋肉量も落ちて
今でも左右の足の長さに
差があるにもかかわらずです。
身体の持つ力って
想像を遙かに超えています。
身体が自分で作った病気ならば
治し方も知っているはずです。
「治る」
「治ってもいい」
ということにブレーキを掛けているのも
自分自身だったりします。
医学の常識、社会の常識や情報に囚われず
すべて鵜呑みにせず、自分なりに納得できるこたえを探してみて下さい。
そのための方法として、
日頃から自分自身と自分自身の身体と会話することをオススメします。
心をこめて、雑談でも必ず答えてくれる時がきます。
僕も日々会話し続けています。
朝起きて「おはよう(^^)」から。
いつも応援ありがとうございます。
そして、いつも応援しています。