これを末期っていうんだろうなー
いつもありがとう◎成人T細胞白血病体験記, 余命宣告以降, 健康のこと
こんばんは。
今日は晴れくもりの一日でした。
前回の記事
の続きです。
それから後は、ビタミンC点滴治療だけが希望となっていました。
「こんなに高い治療だし、効果あるよね。効いてるよね。」
と自分に言い聞かせるように、治療に通いました。
ビタミンCと同時にプラセンタの注射も免疫力をあげる効果があるという情報を聞いて、それも何回か試してみました。
とにかく必死でした。
それでも状態は悪化していく一方で、少しづつ、じわりじわりとからだのあちらこちらが痛くなっていきました。
寝ているとき、痛みで寝返りが出来なくなっていき、首を動かすのも痛くて、手で支えながら動かすようになり、歩くのも激痛がはしるようになり、トイレに行くことでさえ苦痛になってきました。
家の中では、子供が使っていたタイヤつきのいすに乗って移動してました。
ビタミンCの点滴に通うのも家族に送迎をしてもらうようになっていました。
外出時に歩く時、はじめは1本の杖をつき、つぎに2本の松葉杖をつくようになり、ついには車椅子に乗るようになりました。
「最後は、寝たきりになるのかなー」
「痛い思いをして死ぬのかなー」
と思ってました。
主治医に余命宣告された期間よりは長かったけど、思ったとおり、イメージしたとおりになっていきました。
一応、主治医から、軽い痛み止めを処方してもらっていましたが、あまり効果はありませんでした。
「もっと強い痛み止めもありますからね」と言われましたが、多分モルヒネ(麻薬)とかそういうものだと思い、それを使うということは、なんとなく、死を待つ末期患者ということを認める気がして、僕は使いませんでした。
そしてビタミンC点滴治療を開始して約4ヶ月後の2009.12月にまた全身状態を知るため4回目のPET-CT検査を受けることになりました。
3回目の検査のときは、足を引きずりながらも、自分で歩いて検査室まで行けましたが、4回目では車椅子にのって移動しました。
PET-CT検査の回を重ねるごとに、病人っぽくなってるなと思いました。
これだけ全身に痛みがあるから、それなりに悪くなってるのだろうと思ってはいましたが、その結果は予想以上に悪化していました。
検査結果(2009.12.8)をみて絶句でした。
「えっ・・・」
「これを末期っていうんだろうなー」と。
その結果が出てからも、すぐに治療を開始するということはありませんでした。
半年前にも言われていましたが、「治療」といえる治療はありませんでした。
ほんとに、どうしようもなくなった時に入院して何か対処して
ほんのちょっとの間、生き延びるということしかできない状況でした。
せめて足の痛みだけでもおさえて、少しでも歩けるようにして動けるあいだは自分の家で過ごせるようにしてほしいと主治医に伝え、両足の放射線治療を受けることになりました。
放射線治療のおかげで、多少痛みがあっても、自分の家で過ごすことができました。
そして、歩けるようになったことが、次のステップに進むための大きなポイントになりました。
次回に続きます。
コメント
カーズさん、おはようございます!
ドキュメンタリーを読む感じで毎日おじゃましています。
私の知人で、心のシフトチェンジのみで難病のリューマチを克服した人がいます。
骨格調整ビーイングさんこんにちは。
読んでいただきありがとうございます。過去の日記をみたり、メモをみたり当時を思い出しながら書いてます。ドキュメンタリーですね。
多くの病気はきっと自分で治せると僕も思います。心のシフトチェンジの仕方は人それぞれ違うのでしょうね。