責任をもつということ
いつもありがとう◎成人T細胞白血病体験記, 発症するまで, 健康のこと
こんにちは。
前回の記事
の続きです。
仕事も子育てもすべてが順調にいってて、何不自由なく過ごしてました。
週末には家族で公園に行ったり、夏は海水浴に行ったり、庭でバーベキューをしたり、また職場の先輩方とボウリングをしたり、友人達との草野球チームにも入っていて適度にスポーツもしていて、ほんとに普通のじょうとうという感じで楽しい生活をしてました。
その頃の食生活と今との大きな違いは、仕事から帰ってきて、ほぼ毎日ビール500mlを1~2本飲んでいたという程度で特に乱れた食生活をしていたわけでもありませんでした(かな?)。
体重は今と比べると10kgほど重くて70kgくらいありました。
病気を発症する前にあった大きな環境の変化といえば、発症の1年前に石垣島へ転勤することになったことくらいでした。
その転勤は希望していた地域への転勤で、家族4人で新たな環境での生活を楽しもうという感じでした。
石垣島での生活は思っていたとおり、自然が豊かで休みの日には、海へ行ったり、山へクワガタを採りに行ったり、僕も妻も子供たちもみんな楽しく生活をしていました。
しかし、仕事面に関しては、決してイヤというわけではないのですが、楽しいという感じではなく、家族を養うため、安定した生活をするため、お金のため、一家の大黒柱としての「責任」のためというのが常にありました。
世間一般の常識としても僕の常識としてもそれは当然の事と思っていました。
親として子供を育てるため、大学へ行かせるためなど自分に色々なあたりまえの「責任」を背負わせていました。
人生のすべてを楽しんでいいんだということを知りませんでした。
忘れていました。
そして、何より自分自身に「責任」を持つ、ということをその時の僕は知りませんでした。
自分自身に「責任」をもっていなくて、自分を大切にするということができていませんでした。
石垣島での生活が1年くらいたったある日、微熱がでました。そして、それがほぼ毎日続くようになりました。
朝、仕事に出かけ、夕方になると微熱がではじめ、だるくなり、家で横になって寝ているときに寝汗をかいて、翌朝には熱がさがりスッキリして、また仕事に出かけていくという感じの生活が続きました。
次回に続きます。