宮崎県と鹿児島県へ
いつもありがとう◎成人T細胞白血病体験記, 余命宣告以降, 健康のこと
こんばんは。
今日は復職前の引継ぎに行ってきました。
前回の記事
の続きです。
この治療は当時、沖縄県内の病院では受けることができず、県外に行く必要があったので、歩けるということも僕にとっては重要でした。
多分、そのとき僕が車椅子の状態だったら行かなかったと思います。
体調はあまり良くはなかったのですが、足を引きずりながらでも、歩けるようにはなっていたので、飛行機に乗り治療に行くことが出来る状態でした。
右足は足首がちょっと変形し、細くなっていました。
そして、すぐに両親が僕のデータを持って、実際にどういう治療なのか宮崎県の病院まで話を聞きに行ってくれました。
その治療方法は自分のリンパ球を採取し、その中にあるがんを殺傷する力が強い
NK細胞を2~4週間培養し増殖、活性化させ、また自分の体に戻すというもので、抗がん剤のように正常な細胞まで破壊するような副作用はなく、強い悪寒と発熱があるくらいということでした。
この治療を受けようと思っている、ということを主治医に話しましたが、反応は
あまりよくなく、「それよりは、そのお金で行けるうちに豪華な旅行に行ったほうがいいんじゃないですか?」と言われてしまいました。
そう言われ、なんか悔しかったのですが、そのときは僕も、もうすぐ死ぬかもしれないし、半分は旅行、半分は治療という気持ちで楽しんでこようと思いました。
そして2010.2月上旬治療を開始するための準備がスタートしました。
いずれにしてもこれが、最後の治療になるだろうと思ってましたし、実際、医学的な治療といえるものはこれが最後でした。
まず、リンパ球を採取するため、その施設がある大阪へ一泊二日で行ってきました。
腕の動脈へ針を刺し採取するのですが、これまでの治療で血管も細くなっていたので、3回目でようやく血管に入りました。結構痛かったです。
無事採取が終わり、沖縄へ戻り、培養に必要な3週間は自宅で過ごしました。
早く治療をしないと間に合わないのではないか、と不安な3週間でした。
そして無事、培養できたという連絡を受け、採取から3週間後の2010.2月中旬
待ちに待ったANK免疫細胞療法を受けるため宮崎県へと向かいました。
治療は宮崎県の病院で受けることになっていて、週2回、通院して点滴をする
ので約1ヶ月半そこに滞在する必要がありました。その間、子供達にはまた寂しい思いをさせてしまいますが、両親に預かってもらうことにしました。
治療を受ける病院までは車で通える距離にある鹿児島県の霧島市にマンスリーマンションを借りて、レンタカーで通うことにしました。
コメント
お久しぶりですm(__)m
奥様からブログの事を聞いて、早速のコメです(笑)
無菌室で会った時の
カーズサンの笑顔と力強いガッツポーズは忘れられませんね〜(´∀`)
これからも息子ともども
家族ぐるみで仲良くして下さいね☆
仕事復帰おめでと!!
無理しないよにね☆
レーイさんこんばんは。
早速のコメントありがとうございます。
いつもパワフルなレーイさんにはたくましさを感じます。
僕はこれからは無理をしないことにしましたよ。
ただ自分らしくいきます。
これからも、どうぞよろしくお願いします。